黎明期
江戸末期、初代・瀬古安太郎は瀬古弥左衛門の次男として岐阜県武儀郡上之保村に出生。
長男・弥平は飛騨高山で時計店を開設。瀬古安太郎は岐阜にて時計店を営みつつ写真業を志し、明治5年頃写真業への野心を胸に秘めて、ドイツのケルン市へ向かった。
そこで写真用のレンズ製作のマイスターにレンズ製作を発注。
6ケ月後にダルメヤー・ポートレートレンズ(Dallmeyer Portrait Lense)を入手して帰国。
写真機のボデイやガラス原版を挿入する取枠は宮大工に誂えた。
その後、日本の写真師の開祖と言われる「上野彦馬」の流れを組む美濃ポトガラフィーの開祖である「小島柳蛙(こじま
りゅうあ)」に師事して写真術を学んだ。
その後、長男・弥平も飛騨高山で写真館を始め、三男は福井に開業。四男は愛知県犬山で開業。